男の娘とちんぽと性癖とオタク。

「エロ漫画のエロさはチンポのエロさで決まる」

 

神絵師がこのような文言を口にしているのを一度は見た事が有るだろう。

「賛成だ!!」

長年のオタク人生で培ってきた心のインビジブル・チンポがそう叫んでいる。勿論この記事を読んでいるオタク方も同意するところであろう。

この理論を逆説的に考えると、《チンポがエロいエロ漫画はエロい》と言い表わす事が出来る。

 

つまり何が言いたいかと言うと、可愛いのにチンポも持ち合わせている「男の娘は最高だな!」という訳だ。

 

 

・男の娘とは 

簡単に説明すると外見は可愛い女の子なのに実はチンポが付いているキャラクターの総称である。オタク業界には大分浸透しているので今更説明は不要だと思うが一応。

 

・後天的性癖としての男の娘

男の娘、フタナリ、触手……等、の一見異常性壁に思われるこれらは、「大人になると辛いものが好きになる」といったアクワイアード・テイストの様に、後天的な物として獲得される事が多いと思われる。

今はまだ男の娘・チンポに興味のないあなたも将来的に男の娘の求道者となる可能性は無限に秘められている、という訳だ。もし最初から男の娘が大好きな人間であったのなら真性の変態なのかもしれない。

男の娘が一大ジャンルとして確立されている事が、多くの同志がこの世には存在するという事を証明している。男の娘が大好きでも恥ずかしがる事はない、胸を張ろう。

 

・男の娘の魅力とは

・まず挙がるのがギャップ萌え。

いくら外見が乙女であっても体格だけはどうしようもなく男。この矛盾から生まれるギャップの素晴らしさは既に周知の事実。

「あの子のスカートの中にはちんぽがある……」

男の娘特有の萌えポイントである。

 

・次に挙げられるのは精神的な魅力。

男の娘は生まれ持った性を超越し、別の性別になりたいという心を持ち合わせている。ここから、「男の娘は女性よりも女性らしさを持つ生き物だ」とする事が出来る。

またそれに加え、違う性になりきろうとしている心から生まれる、恥じらいが備わる事も多い。

ただし様々なタイプの男の娘が存在する現在、すべての男の娘がコレに当てはまる訳ではない。恥じらう様子もなく男の娘である自分を当然の様に振る舞うキャラクターも存在するからだ。

 

・また、成人向け作品に於いて男の娘チンポは無限の可能性を秘めている。

可愛い姿なのに凶悪なチンポを持つ男の娘、可愛い容姿そのままの可愛いチンポを持つ男の娘、どちらをとっても魅力的なチンポだ。 それに加え、チンポを持つ存在であるので攻め、受け、共にどちらの役をこなす事も出来る。なんと万能な事だ。

 

・男の娘とフタナリの違い

男の娘については前述した通りである。フタナリとは男女両方の性器を併せ持つ両性具有の総称だ。オタク業界では女性が基本となり、そこに男性器が付属した状態のキャラクターが圧倒的多数である。

一見同じである男の娘とフタナリ。これらの違いは性的度合いの差を見る事で明らかに出来る。

男の娘は可愛らしさを持つ、という側面が重要なファクターであり性的な作品にばかり特化したジャンルではない。

一方、フタナリは両性から性的な部分のみを取り出し融合させた、性に特化したジャンルである、というのが両者に違いであると考える。みさくらなんこつ大先生なんかがいい例だろう。あれは完全に性の権化。

 

 ・男の娘のキャラ

筆者が愛して止まない男の娘のキャラクターを紹介しよう。

1.アストルフォ

f:id:lilyum:20190402151422j:plain

Fate/Apocryphaよりアストルフォ。クッソ可愛い。

 

2.小倉朝日

f:id:lilyum:20190402152543j:plain

月に寄りそう乙女の作法より小倉朝日。クッソ可愛い。

 

3.飛鳥湊

f:id:lilyum:20190402152847j:plain

 オトメ*ドメインより飛鳥湊。クッソ可愛い。

 

4.渡良瀬準

f:id:lilyum:20190402161034j:plain

はぴねす!より準にゃん。クッソ可愛い。

 

5.ハッカドール3号

f:id:lilyum:20190402153223j:plain

 ハッカドールより3号くん。クッソ可愛い。

と、男の娘には可愛いキャラがたくさんなのだ。

 

・結論

ぶっちゃけ外見が可愛ければ男の娘はだいたい可愛い。

可愛い女の子にチンコ生やしただけじゃんと思われるかもしれない。だがそこがいいのだ。

 LGBTが謳われる現在、未来の社会では性別という概念がそれほど大事ではなくなってしまうかもしれない。そうなってしまったら男の娘の魅力は今と比べ低下してしまうだろう。

男の娘とは、男女という概念が確立されている現代であるからこそ輝くとても儚いものなのだ。